逃げるのは恥なのか
「逃げてはならない」
「苦労は買ってでもしろ」
「努力と根性」
いや~、立派な精神論だこと。
愚痴ばかり言っている、私のようなサラリーマンのおっさんには耳が痛い。
日本人って勤勉だと言われます。私は、サボることばっかり考えているような奴ですが、なんやかんやで、周りの人は真面目だなって感じる事が多い。
私の親父なんてまさにその典型的な精神論を持っています。
「お前には苦労が足りない」と平気で言ってくるのです。
ひと昔、食べるのもままならないを経験したもの。
選択肢がなく、封建社会を貧困の中、生き抜くしかないという場面では、精神論はとても有効だったと思います。
いや、その精神で何かに取り組み続けれるなら、大抵の事は克服できるでしょう。決してそれが悪いとも間違っているとも言えません。
だけどさ、物質的に豊かになって多様化された現在の世の中で、「自分らしく生きたい」と今の生活から逃げ出したい人って実は多いんじゃないですか?
こんなはずじゃなかった、だけど「逃げてはならない」 逃げる事は悪い事という価値観が、どこかにあるのではないのでしょうか。
私だってそう、サラリーマンという人生から「逃げ出したい」と思っているものの、じがみついているのですからね。
なぜ努力しているのに報われないのか
まあ、これを言ってしまうと、その通りなんで悲しくはなります。
私は、ある目標を持ってに自分なりに何年も一生懸命取り組んできたつもりだったのですが、失敗しました。
ですので努力が報われないという結果に終わったわけです。
だけどそれは、何故かと言うと、結局
報われるほど努力していない
ただ、それだけ。。。はい、論破。
私が幼少の頃の夢であった、世界一のホームラン王の努力論。
王貞治氏の言葉
「努力は必ず報われる、もし報われない努力があるのならそれはまだ努力と呼べない」
だから、王様から見れば、私は努力していないのと同じ。
実際、その通りなんだって思います。。。うん、そうだ。
てめえの努力なんぞは、その分野で活躍しているお方から見れば、無に等しいのだよ。
キヱ~なんだと、コノ野郎!
って、なっちゃいますよね(笑)
だから、考え方と視点を変えて反論しよう!
育ってきた環境が違うから仕方ない
いやねえ、努力なんてのは、それこそ人の視点であって、成功している人って、とんでもない環境で生きてきた人が多いって感じませんか?(まあ、何をもって成功というかはそれこそ人それぞれなので、ここでは置いておきます。)
例えば、元ゴリゴリのヤンキーだったり、極貧を経験していたり、ずっといじめられていたり、友達が一人もいなかったり、悪さして刑務所に入っていたりという逸話って特に芸能人に多い気がします。
環境とか、誰の元に産まれてくるかなんてのは、本人が選びようがありません。(スピリチュアルの世界では逆に選んで産まれてくるらしいけどね、ここでは置いとく)
死ぬ気で頑張らないと生きていけないような環境で育った人の努力、その中で形成されていく強さなんてのは、私なんぞと、明らかにレベルが違って当然です。
ブラック企業で、がんじがらめにされている人の精神と、わたしのように大企業のなかで思考停止したまま、社畜として、何年もゆるゆると育てられてきた人間が、「頑張る」っていうのは、全然違うんですね。
恥でも逃げたらいいよ
目標に対する努力を人と比べるのはモチベーションになるならいいですけど、上には上がいるので、疲れ切ってしまいます。
私が何に努力して失敗したのかは、このブログをご覧になられているなら一目瞭然ですが90%以上が、うまくいかない世界です。
それだけ、努力のレベルが必要な世界で、たいして能力もないのに、結果を残せると思ったのは大したもんです。
あなたが挑戦している目標や夢は、努力のレベルが圧倒的に高い人達の集まりかも知れないのです。人生の舞台や環境で精神力が自動に鍛えられような奴に私は、とてもじゃないが勝てるとは思えません。
そんな奴に勝とうとおもうのであれば・・・
本当に努力が報われたいのなら、人生の中に、困難や修羅場を取り入れる、それこそ苦労を買ってでもする、それでやっとスタート地点に立てるという。。。
だけど、今から極貧生活を経験したり、ヤンキーになるのは意味なしですよね(笑)
私は、超絶波乱万丈の人生を経験したいとは思っちゃいません。
だから、自分が出来る範囲で、自分の努力レベルでも目標達成出来る確率が高い場所を選んだらいいと思うのです。
「死にたい」って、なる位なら、恥だろうが、かっこ悪かろうが逃げたってかまわないんじゃねえの。
才能に溢れた方の努力論
為末大(ためすえだい)氏、元プロ陸上競技選手で、400mハードルの日本記録保持者、トップアスリートの一人ですね。
「諦める力」本を執筆されており、その道を極めた人だからこその、努力論です。
「人生の前半は努力すれば夢は叶うでいい。でもどこかのタイミングでそれを客観視しないと人生が辛い」
「努力は報われるはず→叶わない自分→原因は努力不足。努力原理主義を抜けられなかった人は、こんな自分を許せず何かを呪って生きていく。」
「成功をある程度確率が高いものにおくのであれば、努力すれば叶うと思う。でも五輪選手になるとか、かなり少ない席の話であれば誰でもできるわけではなくて、才能と、環境がまず重要。そのスポーツをやる環境に生まれた事が努力よりも先にくる。」
このようにおっしゃています。
五輪選手であった為末選手は、世界を目指し、私には到底考えられない程の努力をずっと続けてきたのでしょうね。才能に恵まれた上、努力を続けた為末選手であっても、世界という超えられない壁があった。
もし、世界一になるのが夢なのであれば、夢破れたということになる。
努力が全てではない。
自分の才能を活かす客観的な視点を持てという事だと私は捉えます。
自分の才能、好きなことは、やってみなければわかりません。まずは、行動してみましょう。努力はその後でいい。そして、努力して駄目だったら逃げてもいいじゃないの。何もやらないで悩むよりはよっぽどいいんじゃない。