ルールを守るというルール
私はよく自分で決め事を作るのです。理由として、ルールを決めてその通りに行動するのが結局、楽だからなのでしょう。いちいち行動の度に考えるのが面倒くさいんでしょうね。いや、何か決め事がないと自分を律せない弱い人間なのでしょう。とにかくルールを決めると安心するんですよ。
それなのに、私は、約束を守れない人間だと自覚しています。
ルールを決めたって守れないんだったら、ルールの意味はないではないか。
まず第一にルールを守るというルールが必要ですな。。。
ルールを決めて失敗する、そして挫折感に苛まれ、【自分は何て薄情な奴だ。】と悲観的になるのを繰り返す。
結局、それならばルールなんて決めない方がいいと思います。
【自分との約束】
それは、いつしかどんどん軽いものになっていった・・・決めた事を守るにはどうしたらいいんだろ?
なんて生きづらいんだ・・・
ルールを守るには、理屈を抜きにする
決め事には、最初に根拠があるはずです。どうなりたいとか、こうしたいという思いがあるんです。
例えば【禁煙すると決めた。】であれば、お金が勿体ないだとか、健康に良くないとか、大抵はまあそんな感じだと思います。これは禁煙という決め事ですので、それを守るのは自分が決めた事を守る行為ですので、ルールを作り、それを守っているという状況ですね。
ただ、そうそう禁煙って簡単にはいきません。禁煙に限らないですけど、習慣になってしまっている事って、なかなかやめられませんね。
ただ手放すだけでいいのにね、不思議とそれができないんです。だいたい我慢ってのは肉体的には、どうにかなるもんですが、最後は結局、感情だと思うのです。メンタルなんですよ。
理由や理屈を考えてしまうと、禁煙しようと思った時と、煙草を吸おうとしている感情は真逆な訳です。「あの時は、こう思っていたけど、今は違うな。」こうなってしまうともう終わりです。
煙草を吸ってもいい理由を探し出すからです。煙草を買うためのお金なんて、これで楽しめるなら安いもんだ・・・とか、煙草を吸う事によってイライラが解消される、実際には身体に悪いのかもしれないが、ストレス解消されるという感覚は自分にとって大切なもの・・・我慢は、余計に身体に悪い。
とにかく、【吸ってもいい】を自分の中で、正当化してしまうのです。
だから、理由や理屈は抜きで、とにかく決めた事を守る、ルールを守るということが大事だと私は思うのです。
やるからにはやる だめなものはだめ
あぁ煙草吸いてえな・・・という感情が生まれたら、【だめなものはだめ】と言い聞かせます。とにかくだめなんです。
もう、理由なんて考えない、とにかく【だめなものはだめ】これを、ひたすら繰り返すのです。
ラーメン食った後の、一服って最高にうまいんだよ、1本位吸ってもいいんじゃないか・・・
【だめなものはだめ】
今日は仕事のストレスがMAXにたまってしまった。煙草を吸えば解消されるかも知れないな、ちょっと位、いいだろう・・・
【だめなものはだめ!】
う、ううっ、はい、わかりました。( ;∀;)
自分で決めた事にもかかわらず、その決め事に対しての理由が解決されたと感じた地点で、そのルールは、もはやルールでも何でもなくなってしまうんです。
その時に力を発揮する、【だめなものはだめ】
何故なら、だめなものはだめだから、ルールを守るが前提になると、もはや理由も理屈もありませんからね。
だって、だめなんですから・・・
決め事の理由が、【だめだから】ですからね。
【だめなものはだめ】と言われてしまうと、もうどうしようもおまへん。
何かを決める時に、【考える】は、とても大事です。但し決めたからには貫くのみ。ルールを守るには、余計なことは考えない。