ギャンブラーは戦国時代に魅了される
ギャンブラーには歴史好きが多いと私は思います。
中でも、戦国時代や、三国志におけるストーリーは、思考能力と強さ、戦略、大将と武将の信頼関係と駆け引き等・・・
魅力ある要素が詰まっていると感じるのです。
戦いにおける圧倒的な不利な状況から、冷静、時には大胆な発想力で信頼関係で結び付いている、集団がそれぞれの力を如何なく発揮し・・・
大将、そして溢れる才能を持つもの、それぞれの魅力、壊滅的状況からの、逆転勝利は、最高に気持ちが良いのです。清々しさを感じるのです。
そしてそれは、ギャンブラーのそれに、似ているとも言えます。
このストーリーは、心理であり、かっこよくわくわくさえするものなのです。
歴史上の出来事は盛られ過ぎている
まず、歴史上の出来事や武勇伝は、勝者の視点によって描かれている訳です。
美、正義、誠実・・・その後ろには、醜悪とさえいえる人間像、命がかかった場面で、きれいごとを言っている場合ではありません。どれが真実であるか知る由がありません。
美化され、嘘が混じるのは、いた仕方ないでしょう。作者が面白くなるように配慮するのは当然ですし、それを楽しむ分には問題ないのでしょうが、全てを鵜呑みにするのはどうかと思います。
【一騎当千】という言葉がありますが、例え自体が盛り過ぎですね。(笑)
はっきり言って一騎当十でも、不可能に近いレベルで凄いです。
中国の人気歴史である三国志、わたしも楽しませてもらっていますが、ほぼ作り話ということだそうです。
まあ、面白いから、それでいいんだろうね。
競馬の勝ち方と歴史上の戦略を相関させるのはナンセンスである
戦国時代における、大将・武将の戦略について、功績や人物像にいたるまで、興味深く、読み物として、私は好きですし、格言的なものも、おおっなるほど!と感嘆してしまうことも多いのですが・・・
それを、現代のギャンブルに結びつけても、役には立たないと思います。
競馬の勝ち方とは、何の接点もありません。
ギャンブル好きは、戦略が重要だという意識が強いので、歴史上の戦力を参考にしたいと考えたり、そのような書物を好み易いというのは自然なところだと思います。
だからと言って、ギャンブルで勝つ為の思考としては、たんなる【こじつけ】でしかないと私は思うのです。
情報、分析、確率の導き方、戦国時代と現代では背景が違いすます。
戦国時代、三国志が好きで面白いと感じるのと、それを現代のギャンブルに活かすというのは、全く別物でしょう。
自分が、戦国武将にでもなったかのような気分、ギャンブラーとして高揚する一つの要素なのでしょうね。その事自体は否定しません。