ギャンブラーの誤謬(ごびゅう)とは
前回のテーマは競馬の賭け方による失敗から、何を学ぶかという観点でお伝えしたつもりですが、最後に述べたのは、ギャンブラーの誤謬と言われているものです。
ギャンブラーの誤謬とは、確率論の観点から見て、数学的な数値とは違う誤った判断をしてしまう事をギャンブラー心理からみた感覚的なズレを表す言葉です。
確率論から見ると、間違っていますよって言っているのですね。
例えとして、ルーレットの奇数か偶数が続けて出るかというのを、確率的に捉えると、次に奇数か偶数のどちらが出るかは、過去に出た目には関係しない。
4回連続で奇数が出たから、そろそろ偶数がくるんじゃね?という心理がギャンブラーの誤謬と呼ばれているものです。
独立事象なので、常に確率は50%ですよ・・・というお話をしました。
そして、それは競馬とて同じですよ。と言いました。
ですが、それは半分正しいですが、半分は間違っているのです。
競馬は独立事象か否か
ギャンブルを分類した時に、【独立事象】と【従属事象】にわかれ、独立事象は、今の結果が、前の結果に干渉されない結果をもたらすものと定義されています。従事事象とは、逆に、確率に影響を与える関係ということです。
競馬というものは、同じ馬が連続で出走しない限りは、前のレースが次のレースには、干渉しないので、独立事象として捉えられています。
これは確率論からの観点です。競馬を確率論の観点から勝つ為の方法論を導き出すにはこの考えは正しいです。正しいと言うよりは、私が長期的に競馬で勝つ為には、このような視点でみるべきなのです。
但し、私は、競馬が独立事象という見方だけをするのは違うと考えています。
競馬は独立事象とは言い難い何かが隠れている
とかく競馬において勝ち馬になる要素は、時に複雑です。結果を知って後から考察しようにも、どうしても不可解なレースというものは存在します。予想精度という意味では、どこまで行っても超えられない壁が存在するのです。
1番人気馬が5レース連続で負けているから、そろそろ1番人気馬が勝ちそうだ・・・これは、ギャンブラーの誤謬な訳ですね、そこに関連性なんてありません。
では、1レースから5レース迄、全て最内の馬が1着になっている。今日は内枠が有利なのか?開幕週で、芝の状況がいいのかも知れない、次のレースは内枠の馬を狙ってみよう・・・
これならばどうでしょうか?独立事象であるにしろ、傾向はあるという判断をして良いと思うのです。
今日は、デムーロ騎手が乗れていないな・・・だけど、重賞だから要注意だ、と考えるのはどうなのでしょうか?
もうそろそろ来ると思うのは、確率論から見れば正しくないのでしょうか?
競馬が全くの独立事象と捉えるのは無理があると思います。
それでも、確率を制する事で競馬に勝とうと思うのであれば、競馬は独立事象とした上で、攻略を考える必要性があるという認識は必要なのです。
ギャンブラーの直観をどう扱うべきなのか
【直観】というものは、単なる思い付きとは、少し違います。確かに論理的ではありませんが、無意識のうちに正しい答えを導きだしている・・・
これが直観です。
問題は、自分が直観で感じ取ったものであるのか、ほんとうに直観であるかどうかの区別がつかないという事です。
直観と言うのは、私から見ればスピリチュアルな世界、根拠なんてありません。どうして?と問われても、なんとなくそのような感じがするとしか言えません。
よく凄腕ギャンブラーの世界で、【感覚を研ぎ澄ます】
みたいなことを言いますよね。麻雀の世界で、なぜその当たり牌をとめることができたのかと問われても、嫌な感じがした・・・とか平気で言ったりしますよね。
それはもうギャンブラーの世界を超えています。
それがギャンブルで勝つ為の方法論であるならば、私が目指す道ではありません。
私が競馬で勝つ為には主観も直観もいらない
私が競馬において目指しているのは、主観も直観も運さえも排除し、ルールを貫けば、おのずと結果がついてくる世界です。
【期待値】に従って、期待値を上げる為には、どうすれば良いのかに徹底してフォーカスし、競馬の勝ち組になるのです。
私の中で既にルールは確立されています。
20年余り、競馬に負け続けてきましたが、ようやくひとつの結論に辿り着きました。
やっとスッキリとした形で、競馬と向き合う事が出来ているのです。
20年余り悩み続け やっと自分なりの答えに辿り着けました。とてもスッキリしています。