労働環境が悪いから働きたくない?
日本人って働き過ぎだと、世界的に見て言われます。真面目にコツコツと働く蟻さんのイメージでしょうか。
朝の満員電車は想像しただけで、吐き気がしてきまっせ。。。
皆さん、何をされてるか、わかんないけど、あんな電車に乗らなければいけないだなんて、相応の理由があるはずです。まともだとは、思えません。
可愛そうに・・・もっとゆったり生きたっていいじゃないの・・・
いやいや、私もその電車に乗らなければいけない、一人ではないか。
会社に着く前に、既にヘロヘロなんですけど、会社の中は、もっと酷くて、「何でこんなことをやらなければいけないの。」って事が、た~くさんあります。
私が働きたくないのは、それが理由なのでしょうか・・・
労働環境が悪いと感じるから、会社そして、上司や部下にも不満をぶちまけてしまいます。それは時に家庭に持ち込み、愚痴として嫁に放たれます。
嫁にしたら、そんなもん知るかって話ですよね。
私が「仕事やめたい、働きたくない」と常々口にしてしまうのは、労働環境が悪いからなのでしょうか・・・
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「否!」
働きたくないというのは、そういうことを言っているのではありません。なぜなら私は転職した所で、会社に対する不満、環境に対する愚痴なんて、いくらでも出てくるから。
だから、目の前の仕事を否定したいだけなんです。これって、あくまでも表面的な【働きたくない】でしかありません。
本当の理由は、もっと違う所にあるのです。
サラリーマンに自由などありません
自由とは何か・・・これを言い出すとこれはこれで深いテーマとなってしまいますので、ここで言う自由とは、【全てにおいて自分でやる事を決断する】という前提で話をします。
・好きな時間に起きる、寝る、食べる、飲む
・どこに行こう、何をしよう
・誰と一緒に過ごそう
自由というのは、責任を伴うものですし、好き勝手に何でもすればいいと言っているのではありません。
そもそも、社会において、その仕組み自体が自由を保障できるものではありませんからね。
ただ、サラリーマンというのは、自由の制限がとてつもなく大きいのです。
もちろんその意思は個人のものですし、そういう意味では自己責任です。サラリーマンという選択をしたのは、本人が自由に選んだ結果ではないかと言われればその通りです。
・仕事内容はマニュアル化され、決まっている。
・休みたいときに休めない
・労働時間を決められない
・海外旅行にいく時間がとれない
私の労働環境を考えた場合、いわゆるブラック企業かと問われれば、そんな事はありません。残業代はきちんと出ますし、福利厚生もしっかりしている、長期連休だって取ろうと思えば可能ですよ。
だけど、仮に海外旅行をしている最中であっても、頭の片隅には会社がある。自由に見えていても、心はいつだって会社に拘束されているんです。
結局、私は仮に今よりも良い労働環境で働けるとしても、サラリーマンである以上は、
『働きたくない。』
この呪縛から、解き放たれることは、ないのです。
結婚式で先輩のスピーチの中に私の真実が隠れていた
2003年、もう14年も前の話になりますが、私は結婚しました。
そして先輩がわたしのエピソードを語ってくれたわけですが、その中で今でも忘れない言葉があります。
さんちゃんは、(サンペリドンのさんちゃんね、実際に職場でもこう呼ばれている。)
【自分の意見をしっかりと持っている人です。】
このように、言われたのです。
これって、結婚式の場ですから、善意な訳でしょう、(と思いたい。)
けれども、言い方を変えれば
【言う事を聞かずに、自分を曲げない頑固者】
とも、取れます。。。
私は、きっと知らないうちに、自分で決めて自分で行動したいと職場でアピールしていたのであろうと思われます。
【自由になりたい】
これが、わたしが働きたくないと思う本当の理由です。
自由に繋がる道を探して行動すれば働きたくなる
働きたくないのではなく、自由に行きたい。
ここでいう自由とは、自分で何でも決めるという事です。
だけど、サラリーマンは、自分で決定できないことばっかりです。
私は、何もやる気がしないという心境に陥っていましたが、働きたくないから何もしたくないという訳ではないのです。
例えば、ただひたすら寝ているだけの人生を与えられたとしたら、それはそれで退屈で仕方ありません。『何かをやりたくてたまらない。』という状況になるでしょう。
ずっ~と、ダラダラしてゴロゴロしていたいと思っていましたが、実現すれば刺激のない人生だと嘆くのでしょう(笑)
私みたいなグータラなおっさんが、『働きたくない。』と言い出せば、それは怠惰だと思われてしまいます。
私は、何か
を、やりたい人間なのです。
その、何か
が、サラリーマンではないという事は、はっきりとしています。
その何か
は、収入を得る為の仕事になってしまうかも知れません。
自分の意思ですべてを決定しているという感覚があるならば、仮にそれが仕事であったとしても、『働きたくない。』とは、ならないはずです。
むしろ自分が働いているという意識さえ、なくなってしまうのでしょう。
私のような、『働きたくない。』人間は、『働いている。』という感覚が無くなるような状態を目指すと、『働きたくない。』はどこかに行ってしまうでしょうね。
自由に生きるを目指したっていいじゃない。