ギャンブル幸福論

ギャンブルばかりの人生から一歩踏み出します。

ギャンブルと共に人生を歩む為に

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ギャンブル大好き人間

サンペリドンと名乗るおっさん・・・

 

プロ野球選手になる夢を諦めてから努力というものを一切しなくなってしまったのです。頑張るって言葉さえ嫌い、頭の中はどうやって楽に稼ごうかって事ばかり・・・

 

 

そして、気が付けばギャンブルにどっぷりとはまっていたのです。私がどうしてここまで労働というものを嫌うのでしょうか?私にとって仕事というものはお金を稼ぐという位置づけでしかないのでしょう。好きな事やって楽しんでお金を稼ぐなんて最高ではないか・・・なんの根拠もないのに私はギャンブルで勝てると思っていたんです。

 

それ以前にギャンブルの要素を持つものにワクワクしていました。小学生の時にちょっとしたゲームでお菓子を賭けてジャンケンしたりとか鞄持ちくじ引きとか、そんな時には何とも言えない興奮を覚えたんです。絶対に俺は負けない!負ける訳がない!運の塊なんだよ、俺様は・・・と熱くなっていました。そりゃもうギャンブル大好きですね。

 

ギャンブルの魅力

ギャンブルって、やはり楽しいって思うんです。ギャンブル好きと嫌いな人の差って根本的に脳の動きが違うらしいのです。脳に快楽物質が発生するんです。

 

世間で、ギャンブルの要素って実は色んなものに備わっていると思うんです。いわばギャンブルって人生そのものなんですよ。本能の一部とさえ思ってしまうのです。まず、生まれてくる前の段階からギャンブルに勝利しないと受精出来ないんですからね。

 

精子がゴールに辿り着くには、卵管を通らなければならないのですが、卵管って2つあるんです。2つの道があって、そのうちの一つにしかゴールが存在しないんです。数億の中の一番になる前に、まず2分の1の道をクリアしないといけないんです。これってまさしくとてつもないギャンブルです。それを選択して産まれてこれたんですね。

 

選択肢があるものだってギャンブルの一種ですよ。誰と付き合うか、結婚だってそう、どんな会社で働くのかだって、ギャンブルみたいなもんじゃありませんか?ギャンブルで勝利する快感は人間の生きる力として備わっているのかも知れません。

 

ギャンブルは確率のゲームだが絶対的ではないからこそ面白い

ギャンブルの面白さは、絶対ではないという部分にあると私は思っています。偶然性がふんだんにちりばめられているからこそ、面白いんです。それでいて確率というつかみどころのないものが存在している。確率とブレと運と実力と・・・そしてそれでいて結果がはっきりとしている、勝者と敗者が明確なのでスッキリします。

 

例えば、偶然の要素がなく一定の割合で勝ち負けが決まるシステムであれば、まったく面白くはないと思うんです。私は一時、釣りにはまっていた事がありました。釣りってギャンブルの要素をけっこう含んでいるんですね。狩猟本能なのかどうかわからないですけれど、男性で釣りが趣味って方は多いと思いますよ。

 

実力だけでなく確率のブレと運の要素を含み、何が起こるかわからないというのが魅力な訳です。もしも、釣りに偶然という要素がなく例えば、30分毎に必ず一匹釣れるというシステムだったとしたら、全然魅力無いでしょう、だって面白くないですもの。

 

ギャンブルは絶対的なものではなく、賭けに対する見返りだって確実ではありません。それを、「部分強化」といいます。人間心理として、そこに面白さを感じる訳です。たまに思いがけず大きな収入が得られる可能性、釣りで言えば、1時間全く釣れないかも知れないけど、10分で10匹釣れるかも知れない、大物が引っかかるかもという魅力が「部分強化」な訳ですね。

 

ギャンブルの勝利は自分への誇りとなる

私のギャンブルは、パチンコ、スロット、競馬、麻雀が主でした、後は将棋とか対戦型のゲーム等ですね。逆に宝くじなんて、ほとんど手を出しませんでしたし、現在も全くやらないです。

 

私は競馬こそ、大敗しておりますが、基本的にはギャンブルで勝ち越しているのです。私が好きなのは自分が何らかの攻略性を考えられると判断しているギャンブルですね。勝つ為の方法論を探り自分で構築しそして結果を得るという行為は、自分の研究の成果だという高揚感が高く、ギャンブラーとしての自分に気持ち良さを感じるのです。

 

ギャンブルで勝った後の宴(うたげ)なんて最高に気持ちええ!私が余韻に浸れる事ってギャンブルで勝った時しか思い浮かばない位です。(笑)

 

ギャンブルは悪という偏見

「ギャンブルなんて、結局勝てるわけない!」「ギャンブルなんかに金と時間をつかっている奴はアホ。」「ギャンブルやる人って嫌い。」最後の一言は多くの女性にあてはまるかも知れませんね。女性はとかく、安定を求めたがりますからね・・・うちの嫁様だってそうです。

 

ギャンブルを怖いと思っている人や、やらない人から見れば、私のようなギャンブル依存症者は、理解できないでしょうし、否定したい気持ちがあるでしょう。なんというかそんな人間って端からギャンブルする人間を見下しているし、「お前は間違っていて俺は正しい。」なんて、平気で言ったりするんですよ。

 

私は、なんであれ物事を決めつけるってのが大嫌いなのです。私が「ギャンブルをやる。」という事柄迄、否定される言われはありません。私はギャンブルと共に人生を歩む為にどうすればいいかと説いている訳ですからね。

 

ギャンブルの楽しさと勝つというのは別物

「ギャンブルは確率のゲーム」と申しました。勝つという事は、その確率を制するという事です。ギャンブルの楽しさは、「部分強化」にあるのです。ギャンブルで安定して勝つというのを望むのであれば、この部分強化を全部強化に近づけなければならない。

 

すなわち、面白くないに近づけるって事です。私は競馬においてその境地にまでは、達していませんが、パチンコとスロットにおいては、経験しています。なんと表現するか難しいのですが、「期待値依存症」とでも申しておきましょう。

 

スロットであれば朝一の地点で設定6が確定している機械割150%以上の台を掴んだ時、パチンコであればボーダーの倍以上回る台、今でこそ皆無ですが、20年前にはこんな状況は珍しくありませんでした。1日やれば、まず負ける事のないレベルの期待値の台を朝一で掴んでしまった。・・・だけど私にとっては、そこにギャンブルとしての楽しさを失ってしまっていた瞬間が確かにあったのです。

 

「閉店迄、ぶん回すだけだなぁ~」まあ、感覚としては仕事です。労働嫌いで楽して稼ぎたいのが前提なのに、ギャンブルで安定して勝つという事は、実はちっとも楽しくないんですね。

 

ギャンブルで本気で勝とうと取り組んだ人でなければ、このメンタル的な苦しさは理解できないのかも知れません。

 

ギャンブルをする上での最大の問題点

長年、ギャンブルにしがみついてきた私が感じている事。

 

それは・・・

 

結局は、自制心を保てるかどうかなのだと理解していますし、それはギャンブルを制する為の最大の要因ですね。

 

私はギャンブル依存症の線引きを借金してまでやるかどうか?という点で判断しています。別にギャンブルに依存していようが、かまわないと思いますよ。そんなもんは個人の人生なんですから、他人の入る隙なんてあったもんじゃねえ・・・

 

だけどね、借金してギャンブルするというのは、そもそもそんな精神では勝てないって事を肝に銘じるべきなんです。そんな状況に陥った現実をしっかりとみつめる必要があるのです。敗北をしっかりと認めた上で対策すればいいんです。

 

そこを自制できない人間が勝てる訳なんかないし、ギャンブルなんてやる資格がないんですよ。まあ、それを自覚できないから依存症なんですけどね。

 

まとめ

ギャンブルと共に人生を歩む事は決して簡単ではありません。だけどギャンブル依存症を受け入れるには、ギャンブルとは何たるかを考え、否定せず、自分なりの接し方と自制をルール化し、どうやって付き合っていくのかを明確にし、決して借金に陥ってはいけないのです。

 

ギャンブルを継続するには資金が枯渇してはいけないのです。

 

その為にはどうしたらいいのか?

 

個人個人が、どう向き合うか?

 

ギャンブルするってのは、そういう事なんです。

 

 私の人生はギャンブルばかりだったけど、人生はそれだけじゃないし、一歩踏み出すのだって悪くはないと思うよ。

 

まあ、私はこれからもギャンブルと共に歩む人生を選択しましたし、常に向き合って受け入れ、幸福を感じて生きていくと決めていますので、20年余りギャンブルをやってきてやっとこの境地に辿り着いたなって思います。

 

悟りレベルですな。

 

ギャンブルとの接し方、あなたはどうですか?